-
吉行和子の学歴や通っていた大学や高校の情報やエピソード、偏差値に関する情報を調べてまとめました。
吉行和子のプロフィール
- 身長:158cm
- 体重:不明です
- 出身:東京府
- 血液型:B型
- 最終学歴:女子学院高校卒業
吉行和子の学歴と偏差値まとめ
- 大学:大学には進学していません
- 高校:女子学院高校(偏差値:70)
- 中学校:女子学院中学校
- 小学校:不明です
吉行和子の代表作
- ドラマ「3年B組金八先生シリーズ」家庭科教師役
- 映画「愛の亡霊」塚田せき役
吉行和子の学歴は
吉行和子は大学には進学していません。
吉行和子の学歴は女子学院高校(東京都)偏差値70
https://www.joshigakuin.ed.jp/schoollife/facilities/
吉行和子が通っていた高校は、東京都にある女子学院高校です。
住所:〒102-0082 東京都千代田区一番町22-10
偏差値は70で難関です。
女子学院高校と同じ偏差値の学校
- 桜蔭高校
- 雙葉高校
女子学院高校は中高一貫教育学校で、高校からの入学者を募集していないため
中学受験に合格しなければ入学できない学校です。
プロテスタントのミッションスクールで週5日制を導入。
学期は前期と後期の2学期制で6年間系統的な学習を一貫教育で行うようです。
毎朝の礼拝、全学年で聖書の時間を設けられ、キリスト教精神をベースとした教育がたくさん見受けられるようです。
中学1年生から少人数制で英会話が実施され、将来にわたって使える実践的な会話力を
ネイティブ講師による英語だけの授業で行われるそうです。
吉行和子と同じ女子学院高校の卒業生
名前 | 職業 | 進学先 |
徳島えりか | アナウンサー | |
馬場典子 | アナウンサー |
吉行和子の高校時代のエピソード
中学3年生の頃に民藝の舞台に初めて観に行き、感銘を受けた吉行和子さんは
この世界に私も入りたいと強く思い、自分にできることは何だろうと
最初から女優志望ではなかったようです。
裁縫や絵が好きだから衣装や美術など裏方から入り込めるんじゃないかという思いを持ち続けながら
高校3年間を過ごしたそうです。
高校3年生の時に民藝の募集広告を見て早速応募し、入団した吉行和子さんは
入団2年目で、芝居『アンネの日記』のアンネ役に抜擢され、そこから女優人生が始まったそうです。
卒業前に入団し、高校は卒業しています。
ほぼ同じ時期に劇団民藝に所属しともに日活映画に出演していたのに共演が殆どなかった1935年8月9日ご生誕の吉行和子さんと松本典子さん、四半世紀の時を経て舞台「とりあえず、ボレロ」でがっぷり四つ。 pic.twitter.com/h7Ag6aGPAO
— TnkAk (@tnkak1966) August 9, 2022
吉行和子の学歴は女子学院中学校
吉行和子が通っていた中学は、女子学院中学校です。(中高一貫校)
吉行和子の中学時代のエピソード
幼い頃から本が大好きで、本の中の誰か1人自分の気になった人を見つけて
想像の中でその人と遊んでいた吉行和子さん。
中学3年生の頃に美容師の母親がお客さんから貰ったチケットで、初めて観に行った民藝の舞台。
今まで読んでいた本の中の人が実際に現れ、本のページをめくるように話が進んでいく
と驚いたそうです。
#あぐり
美容院のお客さんが吉行和子さん。
このドラマの原作者、吉行あぐりさんの実子。 pic.twitter.com/cD1rTUJIef— Saitoh Masaya (@MS3110) June 25, 2021
吉行和子の学歴は番町小学校(東京都)
https://www10.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=1310163
吉行和子が通っていた小学校は、東京都千代田区立にある番町小学校です。
住所:〒102-0085 東京都千代田区六番丁8
番町小学校は、港区の青南小学校、白金小学校とともに「東京3大名門公立小学校」とされているようです。明治4年に開校し、都内の小学校の中でも特に歴史ある伝統校。
また、エリートコースの入り口とされており、番町小学校→千代田区立麹町中学校→千代田区立日比谷高校→東京大学というコースを進む子もいるようです。
公立ルート以外にもエリア内に女子学院や雙葉学園などの超有名私立校があったり
エリア柄学習塾や文化教室も充実しているため、進学に関する情報交換も盛んなこともあり
番町小学校に在籍する多くの子が国立や私立難関中学の受験に臨んでいるそうです。
その実績は一般小学校の比ではないそうですよ。
吉行和子の小学校時代のエピソード
子供のころから小児喘息を患い、小学校にはほとんど通学できなかった吉行和子さん。
療養のために岡山の父親の実家に預けられていたようです。
母親は子供のやることに関しては何も言わない人だったそうで、学校の様子なども全く聞かれず
貧血を起こして教室でよく倒れていたことも母親は知らなかったのだそうです。
それには、担任の先生も驚いていたそう。
遠足のおやつ代も、遠慮のような気持ちが生じて言い出せず
母親が懸命に働いて得た大切なお金を使わせてもらうのがしのびなかったそうです。
吉行和子の幼稚園はわかりませんでした
吉行和子の幼少期のエピソード
喘息抜きには語れないほどだったようで、2歳数か月で百日ぜきにかかり
喘息の発作を起こすようになった以来、半世紀もの間苦しめられていたそうです。
発作がひどいときは一晩中母親が背負ってくれていたそう。
母親のあぐりさんはいつまで生きていられるか、ととても心配したそうです。
転地療養した先に、父親が付き添って面倒を見ていましたが
4歳の時に心臓麻痺で亡くなられています。
これから私の面倒は誰が見てくれるんだろう、と
幼いながら不安な気持ちになったことを覚えているそうです。
ちなみに父親は作家の吉行エイスケさんで、母親は美容師の吉行あぐりさん
兄は作家の吉行淳之介さん、妹は詩人の吉行理恵さんです。
吉行和子さんは、28歳の時に結婚されていますが4年で離婚されています。
子供はおらず現在も独身のようです。
97歳まで現役で美容師を続けていた母親のあぐりさんは、自分の働く姿を見せることが
親としての務めだと考えていたようで、実際に仕事に一途に向き合う母親の姿に教えられたそうです。
また基本的に1人でいることが好きな吉行和子さんは、仕事の間は仕事のことばかり考えていて
それが楽しく、1つ終わったら映画を観に行ったり、大好きな旅にも行くそうです。
#あぐり
吉行エイスケ・あぐり夫妻。
二人の息子・淳之介。
淳之介を膝に乗せてるのは、エイスケの母・盛代。 pic.twitter.com/jNYu8phloX— Saitoh Masaya (@MS3110) May 14, 2021
コメント