中井貴一の学歴や通っていた大学や高校の情報やエピソード、偏差値に関する情報を調べてまとめました。
出典:<中井貴一オフィシャルWEBサイト>
中井貴一のプロフィール
- 身長:181センチ
- 体重:70キロ
- 出身:東京都
- 血液型:A型
- 最終学歴:成蹊大学経済学部
中井貴一の学歴と偏差値まとめ
- 大学:成蹊大学経済学部(偏差値:57)
- 高校:成蹊高校(偏差値:69)
- 中学校:成蹊中学校
- 小学校:世田谷区八幡小学校
中井貴一の代表作
- ドラマ「武田信玄」武田信玄役
- ドラマ「ふぞろいの林檎たち」仲手川良雄役
- ドラマ「華麗なる一族」万俵大介役
- 映画「四十七人の刺客」色部又四郎役
- 映画「壬生義士伝」吉村貫一郎役
- 映画「亡国イージス」ホ・ヨンファ役
- 映画「記憶にございません!」黒田啓介役
中井貴一の学歴は成蹊大学(東京都)偏差値57
中井貴一さんが通っていた大学は、東京都にある
住所:〒180-8633 東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1
偏差値は57で、高めですね
成蹊大学と同じ偏差値の学校
- 亜細亜大学(東京都)
- 東北学院大学(宮城県)
- 福岡大学(福岡県)
成蹊大学は、東京都武蔵野市の歴史ある私立大学。
教育理念は「個性を持った自立的な人間の創造」
100年以上前から個性を重視するための少人数教育を続けており、伝統的に教員と学生の距離が近いのが特徴のひとつ。
成蹊大学は、学習院大学とならんで東京四大学と呼ばれています。
成蹊学園創立に手助けしたのが、三菱財閥4代目総帥の岩崎小弥太。
岩崎小弥太は約24年間成蹊学園の理事長を務めました。
このため、成蹊学園と三菱は深い繋がりがあります。
中井貴一と同じ成蹊大学の卒業生
名前 | 職業 | 進学先 |
安部晋三 | 元総理大臣 | |
石田衣良 | 小説家 | |
片桐はいり | 俳優 | |
風見しんご | タレント | |
中村俊平 | プロサッカー選手 |
中井貴一の大学時代のエピソード
中井貴一さんは、高校卒業後は成蹊大学に進学しました。
成蹊高校に通っていたため、受験はせず内部進学です。
中井貴一さんが大学1年生の時に父親の17回忌があり、そこに参列した映画監督の松林宗惠さんにスカウトされました。
人見知りで人前に立つことがが苦手だった中井貴一さん。
2歳の時に父親が亡なり、父親のことを覚えていないから知りたいと思ったそうです。
男の子は父親の後ろ姿を見て育つと言うが、僕には父親の後ろ姿がなかった。だから、学生の頃に俳優の仕事が舞い込んだ時に『父の後ろ姿が見たい』と思った。
とりあえず監督の面接に行ったもののやっぱり断ろうと思っていたところ、なぜか最終的に『イエス』と言ってしまった。
あの一瞬、父に背中を押されたとしか思えない不思議な感覚だった。
< Wikipediaより引用(週刊現代6月12日・19日号「昭和の怪物」研究その122・佐田啓二「二枚目役者のかなしみ」p31)>
「俺、やるって言っちゃったよ。ヤベエ」と焦ったそうです。
本人は俳優になりたいとは少しも思っていなかったんですね。
大学在学中に俳優活動を開始。
1981年に松林監督の映画『連合艦隊』でデビュー。
特攻隊員として亡くなるとても繊細で難しい役を演じました。
このデビュー作で、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。
1982年にNHK時代劇「立花登 青春手控え」立花登役でテレビドラマ初出演。
はじめてのテレビドラマは主役でした。
1983年「ふぞろいの林檎たち」主役の仲手川良雄役で大ヒット。
「ふぞろいの林檎たち」は約15年間で4シリーズが製作される人気ドラマとなりました。
大学在学中から主役として映画ドラマ何本も出演し、デビューから華々しい活躍をされています。
絶対に大学は卒業してやると思って、学業と仕事を両立しながら大学を出ました。
慣れない俳優の仕事。そのうえ、主役級の役ばかりでセリフを覚えるだけでも大変そうですね。
学業の両立はやはり苦労が多かったでしょうね・・・。
特に「ふぞろいの林檎たち」では、朝9時から顔合わせをして稽古。家に着くのは夜の11時。
この時の演出家の方はとても厳しく怒鳴られっぱなしだったそうです。
自分が本当に俳優っていう商売をやっていくのか、在学中に迷って就職活動をしようかと思った時期もあるんですが、テレビドラマが大ヒットして戻れなくなって、それでそのまま役者を続けることにしたんですね。
<同上>
しかし、その「ふぞろいの林檎たち」の大ヒットが、俳優として生きていく覚悟を決めさせたんですね!
「やるからには絶対に自分にまけない」と決めたという中井貴一さん。
華々しいデビューから、苦労のない俳優人生のようにみえますが、偉大なお父さんと比べられる二世俳優としての悩みなど見えない苦労はたくさんあったようです。
たくさんの苦労を乗り越えて、現在もドラマ、映画、ナレーション、CMと大活躍されています。
中井貴一の学歴は成蹊中学・高校(東京都)偏差値69
中井貴一が通っていた中学と高校は、東京都にある
住所:〒180-8633 東京都武蔵野市吉祥寺北町3-10-13
偏差値は69で、進学校ですね!
成蹊高校と同じ偏差値の学校
- 学習院高校(東京都)
- 函館ラ・サール高校(北海道)
- 京都教育大学附属高校(京都府)
成蹊中学・高校は、東京都武蔵野市にある中高一貫の私立高校です。
子供の一人一人に合わせた教育指導が特徴。
それぞれの個性を大切にしていく中で、学力だけでなく生き方や人間性を磨くことを目標としています。
中井貴一と同じ成蹊高校の卒業生
名前 | 職業 | 進学先 |
すぎやまこういち | 作曲家 | 東京大学 |
安倍晋三 | 元総理大臣 | 成蹊大学 |
高島彩 | アナウンサー | 成蹊大学 |
東野英心 | 俳優 | |
武田英二郎 | プロサッカー選手 | 青山学院大学 |
服部隆之 | 作曲家 | |
和智正喜 | 小説家 | 明治大学 |
成蹊中学・高校の学校説明はキャンパス紹介動画をYouTubeでも確認できます♪
中井貴一の中学・高校時代のエピソード
中井貴一さんは中学高校と硬式テニス部に所属。
学生時代を通してテニスに熱中していました。
インターハイにも出場経験があり、テニスコーチになることも考えていたほどです。
中学で入部したテニス部は、とても厳しく1年間はラケットも握らせてもらえず、20人ほどいた新入部員は半分以下になってしまったそう・・・。
多少の理不尽さも含め、テニスは私に強い精神性を植え付けてくれた事は間違いない。
学生時代は、学校へ通っていたというより、テニス学校へ通っていたような状態だったと語ったことも。
中井貴一さんの中学高校時代は、テニス一色だったんですね。
この厳しい経験が「やるからには絶対に自分にまけない」と俳優を続けると決意した精神力に繋がっているんですね!!
中井貴一の学歴は世田谷区立八幡小学校(東京都)
中井貴一が通っていた小学校は、東京都にある世田谷区立八幡小学校です。
中井貴一さんが通ったのは、成蹊小学校という情報もありますが、以下の記事から区立小学校で間違いありません。
公立の小学校から、中学受験で私学に入り、初めての制服に袖を通した当時の私は、まだまだお洒落などというものに縁遠かった。
住所:〒158-0085 東京都世田谷区玉川田園調布2-17-15
世田谷区立八幡小学校は、明治12年創立の歴史をもつ区立小学校。
通称は「八小(やっしょう)」。
帰国子女・外国人指導のための日本語教室があり、世田谷区特別支援教室のモデル校でもあります。
現在は校舎新設により小学校は神社からは離れた場所ありますが、奥沢神社に<八幡小学校発祥の地>が残されています。
中井貴一の幼少期のエピソード
真ん中の子供は中井貴一です(^_^;)
小津組といわれるくらいに、同じ俳優、同じスタッフと仕事をするのを好んでいたようです。小津安二郎、黒澤明共に共通しているのは、美しくて監督の指示通りに動ける俳優を高評価していたことですね。 pic.twitter.com/JCEQTqfTvv— Kou (@kou1184) October 15, 2020
中井貴一さんが通われている世田谷区立八幡小学校があるのは田園調布。
田園調布と言われるととてもセレブなイメージですが、中井貴一さんの家族はお父さんが残した遺産だけで生活していたため、とても質素でした。
新しいものを買ってもらったことはほとんどなく、小学校高学年まではお姉さんが着ていた服をリフォームしてきていたエピソードも。
お母さんはとても気丈な人で、しつけはとても厳しかったとテレビやインタビューで話しています。
「本当に厳しい母でした。DVまではいかないけど、手の早い母だった。170センチあったから手も長くて、姉も僕も食事の時も常に(叩かれないよう)臨戦態勢でした」と中井。
「父の分もという(育児への)意識が強かったのでしょう」
小学生時代は、お母さんに連れられてお父さんが出ている映画をよく観に行きました。
お父さんの佐田啓二さんは、中井貴一さんが2歳の時に亡くなっています。
中井貴一さんの覚えているお父さんの姿は、すべてスクリーンの上で演じる姿なのだそう。
お父さんの出演する映画を観る時間は、父親の姿を探す時間でした。
中井貴一さんの一番心に響いた映画は、小学3年生の時に観た「サウンドオブミュージック」。
再上演を映画館で観ています。
映画をみてうっとりと夢中になる体験ははじめてだったと語っています。
主演のジュリー・アンドリュースさんは当時の中井貴一さんの理想の女性。
さらに、はじめて英語で覚えた歌は「ドレミのうた」でした。
いまでも「サウンドオブミュージック」を観るとワクワク感や懐かしさ感じると語られており、子供の頃を思い出す映画のひとつだそうです。
中井貴一さんの幼少期
本質的には変わってない!?w— まぁさん (@maasan_abyss) October 6, 2014
小学生の時に、テニス教室へ行っていたという情報もあります。
またお姉さんの中井貴惠さんも中学受験で、私立女子中学校(田園調布雙葉中学校)へ通われていること。
中井貴一さんも中学受験で、私立成蹊中学校へ通っていることから、教育やしつけには手間暇を惜しまない堅実なお母さんの人柄が伺えますね。
学芸会の役決めでは、周りから忘れられたいと思っているような子供で、人の前に立つのが嫌いでした。
学芸会は苦手なおとなしい裏方を希望するタイプの子だったんですね。
「早くに父を亡くして、自分で物事を判断しなければという意識が、子どもの頃から強くありましたからね」と語っています。
中井貴一さんは、おとなしくてもしっかりと自分の考えをもった子供だったのではないでしょうか?
中井貴一の学歴まとめ
- 大学:成蹊大学経済学部(偏差値:57)
- 高校:成蹊高校(偏差値:69)
- 中学校:成蹊中学校
- 小学校:世田谷区八幡小学校
幼少期は、おとなしく人前に立つことが苦手。
小学校までは地元の世田谷区立八幡小学校に通っていた。
小学校卒業時に、中学受験をして、私立成蹊中学へ入学。
内部進学で成蹊高校、成蹊大学へ進学。
学生時代は、コーチになることを考えるほどテニスに熱中していた。
大学1年生の時に、スカウトされるまで俳優になることは考えたこともなかった。
大学卒業と同時に俳優を辞めることも考えていた。
大学在学中に大ヒットしたドラマ「ふぞろいの林檎たち」シリーズがロングヒットしたことがきっかけで、俳優を続ける決意をした。
ナレーション、テレビ、ドラマ、歌手としても大活躍の中井貴一さん。
「若い俳優さんたちから学ぶことが多い」と語られる進化し続ける表現力から目が離せませんね!
今後の中井貴一さんの出演予定は、公式サイトで確認ができます♪
以上、中井貴一さんの学歴と学生時代のエピソードまとめでした。
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