石丸幹二の学歴や通っていた大学や高校の情報やエピソード、偏差値に関する情報を調べてまとめました。
石丸幹二のプロフィール
- 身長:174cm
- 体重:64kg
- 出身:愛媛県新居浜市
- 血液型:A型
- 最終学歴:東京藝術大学音楽学部
石丸幹二の学歴と偏差値まとめ
- 大学:東京藝術大学音楽学科声楽科(偏差値:55)
- 大学:東京音楽大学音楽学科器楽科(偏差値:35)
- 高校:千葉県立幕張西高校普通科音楽コース(偏差値:59-64)
- 中学校:市原市立姉崎中学校
- 小学校:有秋東小学校
石丸幹二の代表作
- 舞台「オペラ座の怪人」ラウル・シャニュイ子爵役
- 舞台「美女と野獣」ビースト役
- 映画「時をかける少女」深町一夫役
- 「GOLD~カミーユとロダン」オーギュスト・ロダン役
- 「ジキル&ハイド」ヘンリージキル/エドワード・ハイド役
- ドラマ「半沢直樹」浅野匡役
- テレビ番組「題名のない音楽会」6台目司会
石丸幹二の学歴は東京藝術大学(東京都)偏差値55
石丸幹二は、東京都にある東京音楽大学を中退し、東京藝術大学 の音楽学部声楽科に入学しました。
住所:〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8
偏差値は55と平均的なレベルです。
東京藝術大学と同じ偏差値の学校
- 信州大学
- 埼玉大学
- 宮城大学
芸術・音楽系の大学の最高峰に位置する大学。
1949年に「東京美術学校」と「東京音楽学校」が統合し、東京藝術大学となりました。
偏差値は平均的ですが、なんといっても実技試験が超難関と有名で、ある意味では東京大学よりも入学が難しいという説も。
美術学部と音楽学部があり、音楽学部は上野キャンパスです。
石丸幹二と同じ東京藝術大学の卒業生
名前 | 職業 | 進学先 |
千住明 | 作曲家 | 東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程 |
岩城宏之 | 指揮者 | 東京藝術大学中退 |
石丸幹二の大学時代のエピソード
1984年に東京音楽大学入学。
東京音楽大学ではサックスを専攻。
その頃、池袋から渋谷にバスで出掛けて、仲間とサックスを演奏していたというエピソードがあります。
大学3年生のときにテレビのNHK「芸術劇場」で流れたアメリカのクラシック歌手であるジェシー・ノーマンの歌声を聴き、その表現力に衝撃を受けました。
石丸さんは当時を振り返り、「ジェシー・ノーマンが『魔王』の3役を歌っていた。いや、演じ分けていたんです。こんなふうに歌うことが、クラシックの世界にあるんだと。これをやってみたい!と思いました」(週刊女性2017年7月4日号)と語っています。
そして学外で入っていたコーラスサークルの東京藝術大学の先生の勧めで声楽に転校を決意。
東京音楽大学を中途退学して猛勉強の末、1987年に東京藝術大学音楽学部へ入学、テノール歌手への道を歩みだしました。
「藝大ではアカデミックなクラシックの勉強なので、歌詞がイタリア語とかドイツ語なのがもどかしくて、僕は〝日本語で伝えたい、歌いたい〟としきりに言っていた」(週刊女性2017年7月4日号)と音楽で表現する方法を模索していました。
東京藝術大学3年の頃(当時25歳)先輩に勧められた劇団四季のオーディションを受け合格しました。
1990年、劇団四季「オペラ座の怪人」のラウル・シャニュイ子爵で舞台デビュー。
テノールの美声と甘いマスクで人気となりました。
本日開幕『ラブ・ネバー・ダイ』インタビューシリーズ、最終回は石丸幹二さん。今回は音楽的に『オペラ座の怪人』を知る人ならぞくぞくするような改変が。具体的には見てのお楽しみですが、これをそっと語る時の、石丸さんの目の輝きといったら!期待高まるお話です^^https://t.co/WYdgPrIjR9
— Marino Matsushima (@marinotokyo) January 15, 2019
石丸幹二の学歴は千葉県立幕張西高校(千葉県)偏差値59-64
石丸幹二が通っていた高校は、千葉県にある千葉県立幕張西高校(現在の千葉県立幕張総合高校)の普通科音楽コースです。
住所:〒261-0014 千葉市美浜区若葉3丁目1番6
偏差値は59-64で、(当時は偏差値56)レベルの高い高校です。
幕張西高校と同じ偏差値の学校
- 八千代松陰高等学校
- 千葉日本大学第一高等学校
- 八千代高等学校
幕張西高校は、県立の共学校です。
1996年に幕張東高校・幕張北高校と統合され、幕張総合高校となりました。
現在は総合学科、看護科があります。
石丸幹二と同じ幕張西高校の卒業生
名前 | 職業 | 進学先 |
新垣隆 | 作曲家 | 桐朋学園大学 |
福島康晴 | 作曲家 | 東京音楽大学 |
石丸幹二の高校時代のエピソード
1981年に幕張西高校に入学。
高校ではオーケストラ部に所属し、チェロを学びました。
幕張西高校のオーケストラ部は強豪で、漫画「青のオーケストラ」のモデルになった高校ということで有名です。
石丸さんは当時、プロのチェロリストになりたいという夢がありましたが、音楽大学に入れるほどの腕前ではない、と思った石丸さんはサックスで音楽大学を目指しました。
当時はあまりおしゃれに興味が少なかったようで、角刈りにメガネという現在の姿からは想像できない姿でした。
石丸幹二の学歴は市原市立姉崎中学校(千葉県)
石丸幹二が通っていた中学校は、千葉県にある市原市立姉崎中学校です。
住所:〒299-0111千葉県市原市姉崎2156
姉崎中学校は共学の公立校です。
1947年、学校教育法発布と同時に姉崎小学校から分離しました。
石丸幹二の中学時代のエピソード
1978年に姉崎中学校に入学。
中学では吹奏楽部に入り、サックスやオーボエを担当。
部長を担当していたそうです。
この頃には、クラシック音楽を聴くようになりました。
石丸幹二の学歴は有秋東小学校(千葉県)
石丸幹二が通っていた小学校は、千葉県にある有秋東小学校です。
住所:千葉県市原市不入斗753
市原市にある共学の公立校です。
1887年に有秋小学校として開校したが、昭和中期の高度成長期に児童数増加傾向のため有秋西小学校と分離し、現校名へと改称しています。
石丸幹二の小学校時代のエピソード
1972年に有秋東小学校に入学。
6歳からエレクトーンを習っており、小学校では鼓笛隊の小太鼓を担当したのをきっかけとして、さらに音楽に心惹かれていきました。
他の楽器にも興味を持つようになりチェロ・トロンボーン・スネアドラムなど様々な楽器を演奏したようです。
両親の出身は愛媛県と香川県で、夏休みにはよく四国へ電車を乗り継いで帰省していました。
石丸さんは一人っ子だったので、東予に住む従兄弟と会えるのが嬉しかったとのこと。
四国の山々と田園風景の中で泥まみれになって遊んだり、いたずらをして祖母にこっぴどく叱られた、というほほえましいエピソードもあります。
石丸幹二の通っていた幼稚園は?
石丸幹二が通っていた幼稚園は、分かりませんでした。
石丸幹二の幼少期のエピソード
新居浜市で生まれ、4歳には父親の転勤で千葉県に転居。
父親は住友化学に勤められていたそうです。
その後、高校まで市原市で育ちました。
石丸さんは音楽家の家系ではありませんが、家には立派なステレオセットがあり、こっそり一人でレコードを聴いていました。
石丸幹二の学歴まとめ
- 大学:東京藝術大学音楽学科声楽科
- 大学:東京音楽大学音楽学科器楽科
- 高校:千葉県立幕張西高校普通科音楽コース
- 中学校:市原市立姉崎中学校
- 小学校:有秋東小学校
石丸幹二さんは元々楽器の演奏者を志していましたが、ミュージカル俳優に転向し、その後テレビや映画に出演する人気俳優となりました。
テレビや映画の世界では遅咲きですが、難関と言われる数々の狭き門をくぐり抜けてきた確かな実力を備えている石丸さんの今後の活躍に注目してきたいと思います。
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