本木雅弘の学歴や通っていた大学や高校の情報やエピソード、偏差値に関する情報を調べてまとめました。
本木雅弘のプロフィール
- 身長:174センチ
- 体重:68キロ
- 出身:埼玉県桶川市
- 血液型:A型
- 最終学歴:桶川市立桶川東中学校
本木雅弘の学歴と偏差値まとめ
- 高校:浦和学院高校→明治大学付属中野高校(中退)
- 中学校:桶川市立桶川東中学校
- 小学校:桶川町立加納小学校
本木雅弘の代表作
- 大河ドラマ「徳川慶喜」徳川慶喜役
- ドラマ「2年B組仙八先生」森田すばる役
- ドラマ「坂の上の雲」秋山真之役
- ドラマ「麒麟がくる」斎藤道三役
- 映画「ファンシイダンス」塩野陽平役
- 映画「シコふんじゃった。」山本秋平役
- 映画「おくりびと」小林大悟役
- 映画「日本のいちばん長い日」昭和天皇役
- 映画「永い言い訳」衣笠幸夫役
本木雅弘の学歴は浦和学院高校(埼玉県)→明治大学付属中野高校(東京都)(中退)
本木雅弘さんが1年次に通っていた高校は、埼玉県にある浦和学院高校です。
(2年になる前に転校)
住所:〒336-0975 埼玉県さいたま市緑区代山172
偏差値は45~63で、とても幅広いですね!
全普通科の高校ですが、コースによって偏差値が大きく違います。
普通科特進類型T特進コース(63)/ 普通科国際類型グローバルコース(63)/ 普通科特進類型S特進コース(63)/ 普通科特進類型特進コース(59)/ 普通科進学類型文理選抜コース(53)/ 普通科進学類型保健医療コース(49)/ 普通科進学類型文理進学コース(48)/ 普通科進学類型アートコース(48)/ 普通科進学類型総合進学コース(45)
本木雅弘さんが通っていた1980年頃はまだ専門コースが設置されていませんでした。
浦和学院高校と同じ幅広い偏差値のマンモス校
- 作新学院高等学校(栃木県・偏差値40~71)
- 仙台育英学園高校(宮城県・偏差値41~60)
- 九州産業大学付属九州高校(福岡県・偏差値41~63)
浦和学院高校は、埼玉県さいたま市にある私立高校です。
埼玉県内有数のマンモス校で生徒数役2,400名。県内最大規模。
通称「浦学(うらがく)」で親しまれています。
部活動が盛んで、野球部は甲子園優勝経験があります。
他に硬式テニス部、ハンドボール部、「吹奏楽部」「ソングリーダー部」などが全国出場。
本木雅弘が通った浦和学院高校の卒業生
名前 | 職業 | 進学先 |
佐藤博康 | プロテニス選手 | 亜細亜大学 |
菜々緒 | タレント | 共立女子大学 |
若狭大志 | プロサッカー選手 | 東洋大学 |
豊田拓矢 | プロ野球選手 | 上武大学 |
木塚敦志 | プロ野球選手 | 明治大学 |
鈴木健 | プロ野球選手 | |
小島和哉 | プロ野球選手 | 早稲田大学 |
本木雅弘さんが2年次に通っていた高校は、東京都にある明治大学付属中野高校夜間定時制(編入・中退)です。
住所:〒164-0003 東京都中野区東中野3丁目3-4
偏差値は69で、とても高いですね!
本木雅弘さんが通っていた夜間定時制は2003年に廃止されています。
明治大学付属中野高校は、東京都中野区にある私立高校。
明治大学の付属高校として中高一貫教育をおこなっています。
高校からの入学も150名ほどある男子校です。学科は普通科のみ。
部活動は毎年のように全国大会へ出場しています。
本木雅弘が通った明治大学付属中野高校(定時制)の卒業生
名前 | 職業 | 進学先 |
五木ひろし | 演歌歌手 | |
西城秀樹 | 歌手 | |
野々村真 | タレント | |
パパイヤ鈴木 | タレント | |
保積ペペ | 俳優 | |
近藤真彦 | 歌手 | |
河合奈保子 | 女優 | |
川田あつ子 | 女優 | |
島かおり | 女優 | |
つちやかおり | 女優 | |
宝生桜子 | 女優 |
本木雅弘の高校時代のエピソード
本木雅弘さんの高校生活は2年。
芸能活動が忙しすぎて2年生の時に中退しています!
では、本木雅弘さんの高校生活を少し詳しく調べていきましょう♪
埼玉県桶川市の中学卒業後、地元の浦和学院高校へ進学。
中学3年生からジャニーズ事務所に所属して芸能活動。
1981年本木雅弘さんが高校1年生の時、TBSドラマ「2年B組仙八先生」に出演。
ドラマ出演などの芸能活動が忙しくなったため明治大学付属中野高校へ編入します。
1982年本木雅弘さんが高校2年生の時、アイドルグループ「シブがき隊」結成。
シブがき隊のファーストアルバム「THANKS」
なんとLPレコードに写真がプリントされている
特典がシブがき隊のすごろくだった#昭和レトロ#昭和生まれっぽい発言をしろ pic.twitter.com/Ffg4zelNhY— 晴れ女 (@skymint80) July 8, 2023
【シブがき隊】
1981年4月から放送のTBSドラマ『2年B組仙八先生』に生徒役で出演中の、既にジャニーズ事務所所属の薬丸・布川・本木の3名により結成される。結成当初は「仙八トリオ」、「悪ガキトリオ」などと呼ばれていたが、1981年の夏に雑誌『セブンティーン』の一般公募によって『シブがきトリオ』に決定(グループ名の由来は「シブい”悪がき”」を意味)。
「シブがき隊」結成と同時に、アイドル歌手デビューしトップアイドルに駆け上がりました。
本木雅弘さん高校2年生の時の主な活動だけでも、アイドル歌手、ドラマ出演、映画主演、バライティ番組司会、CM出演などがあります。
本木雅弘さんの1982年の主な活躍
ドラマ「2年B組仙八先生」
映画「シブがき隊 ボーイズ & ガールズ」主演
CM「ハウス食品リトルボール」
バライティ番組「レッツGOアイドル」司会 「ザ・ヤングベストテン」司会
歌手「NAI・NAI 16」「100%…SOかもね!」「ZIG ZAG セブンティーン/Gジャンブルース」
通学する時間がとれなくなったため、明治大学付属中野高校を中退。
バライティ番組の司会は毎週あったことが予想できます。
更に、ほかに雑誌の取材やブロマイド撮影、ダンスや歌の練習、単発のお仕事もたくさんあったと思われます。
当時を振り返って1日に10件以上の取材があり、笑顔の作りすぎで頬の筋肉が辛かったという話もありました。
高校へ通う時間がないのも納得の超!多忙ですね!!
同じ「シブがき隊」メンバー布川敏和さん、薬丸裕英さんも明治大学付属中野高校に通っていましたが、本木雅弘さんと同じく中退しています。
本木雅弘さんの高校時代は、芸能活動一色だったのは間違いないです!
デビューイベントがデパートの屋上だったんですけど、恐ろしい数の女の子が来ていて、こんな若造に熱狂することに引いてしまった。
インタビューでデビュー当時のことを振り返り話された内容を考えると、あまりの人気と忙しさに戸惑われていたようです。
1988年本木雅弘さん23歳の時に、「シブがき隊」は解隊。
解隊後は、俳優活動を開始。
1989年、主演映画の「ファンシィダンス」で坊主頭の僧侶役を見事に演じ、俳優として注目されました。
アイドルから俳優への転身をとげ、現在は名俳優として活動されています。
#世界仰天ニュース
内田裕也・樹木希林夫妻の凄まじいエピソード。
そこに婿入りした、モックンこと本木雅弘さんの肝の据わり方よ。 pic.twitter.com/zYGUlA69rj— Saitoh Masaya (@MS3110) April 25, 2023
本木雅弘の学歴は桶川市立桶川東中学校(埼玉県)
本木雅弘が通っていた中学校は、埼玉県にある桶川市立桶川東中学校です。
住所:〒363-0012 埼玉県桶川市末広3-19-28
桶川市立桶川東中学校は、一般的な公立中学校です。
口コミでは「部活が活発」や「治安がいい場所にあり過ごしやすい」と言った意見がありました。
本木雅弘と同じ桶川市立桶川東中学校の卒業生
名前 | 職業 | 進学先 |
白畑真逸 | 俳優 | 桶川西高校 |
白畑真逸さんと本木雅弘さんは、同窓会で「現場で会えるといいね」と話したことがあります。
白畑真逸さんと本木雅弘さんの共通の出演作に「麒麟がくる」がありますが、演者もスタッフも多く撮影が長期におよぶため顔を合わせることはなかったのかもしれませんね。
https://twitter.com/sinobikurou62/status/1614582934023077890
本木雅弘の中学時代のエピソード
本木雅也さんは中学時代はバスケットボール部に所属。
キャプテンを務めていました。
中学生の頃は不良ブームの時代。
本木雅弘さんも不良に憧れていました。
桶川市立桶川東中学校の50周年記念式典に、本木雅弘さんが出席された時には「平和でのんびりしていた」と中学時代を振り返っています。
中学時代の思い出を語り、「何かに追い立てられることなく平和でのんびりしていた」と話した。
不良への憧れはあっても、一般的な中学生として勉強と部活に取り組まれていたようですね。
14歳の時に軽い気持ちでジャニーズ事務所に履歴書を送り、16歳でデビュー。
私が中学生のころに学園ドラマブームがあって、たのきん(トリオ)さんだったり、
「となりのお兄さん」みたいな人たちが
チラチラ、テレビの画面に出てきて‥‥
そこで「あ、自分もテレビに映ってみたいな」という遊び半分の感覚で、当時の事務所に履歴書を送ってみたのがきっかけで。
すぐに「レッスンに来なさい」と呼ばれ、演技のレッスンもほとんど経験しないまま、3か月たたずドラマのオーディションへ応募するよう言われています。
あっという間にデビューしたのには、事務所の考えがサポートが大きかったんですね。
それほど本木雅弘さんが才能を見込まれたということでしょう。
ただし本木雅弘さん自身は、地道な努力の上でスターへの道が拓く「苦節への憧れ」があり、努力する時間が持てなかったことが悔まれている話もあります。
下積み時代がなかったことで、自分への自信が持てず自分自身に「ニセモノ感」を持ってしまった今も続くコンプレックスに繋がっています。
まさに何気なくジャニーズ事務所へ送った履歴書が、人生の大きなターニングポイントだったんですね!!
本木雅弘の学歴は桶川市立加納小学校(埼玉県)
本木雅弘さんが通っていた小学校は、埼玉県にある桶川市立加納小学校です。
住所:〒363-0008 埼玉県桶川市坂田883
桶川市立加納小学校は、明治6(1873)年開校の桶川市内で最も歴史がある小学校。
本木雅弘の幼少期のエピソード
本木雅弘さんは、15代続く農家の生まれです。
15代と考える少なくても江戸時代から続く家柄ですね。
いわゆる豪商と呼ばれる地元で有名な名家。
兄弟は、兄と弟がいます。本木雅弘さんは三人兄弟の次男。
本木雅弘さんは、小さいころ育った環境のへの思いをインタビューで語っています。
やはり、自分が生まれ育った場所や環境は、自分そのものなんですよね。
私は埼玉県の田舎出身であることにコンプレックスを抱き、東京に飛び出しました。
でも、人の親となり、少年時代を思い起こせば、緑豊かな中で空を見上げ、結果健やかな育ち方をしていたな、と感謝しかありません。
https://twitter.com/oricon/status/1115575081068040192?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1115575081068040192%7Ctwgr%5Ef7043a7ff9362ed1a4f934bdad87c8c59fcea648%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Finfochampon.com%2Farchives%2F7813
幼いころは「同じ大きい家なら、ヨーロッパの王子に生まれて波乱万丈な人生を送ってみたかった」と思っていたことを告白されています。
小学3年生の時から毎年学級委員に選ばれていましたが、あまり人の先頭に立つのは好まない端から全体をみるタイプの子供だったそう。
現在も「自分を客観的にみているところがある」とよく話される本木雅也さん。
目立つ存在でまわりが放っておかないところも今と変わらずのようですね。
父親は、本木雅弘さんにも何らかの形で農業にかかわってほしいと思っていた時期もあったようです。
しかし、小学生3年生の頃「喫茶店のマスターになりたい」と作文に書いていて本人はあまり農業には興味を持ていませんでした。
代々続く家柄ということですが、本木家自体の教育方針は厳しいというほどではなく、どちらかと言うと自由な教育方針。
本人も「幼いころからゆったりのびのび育てられた」言っています。
田舎で育ったことへコンプレックスがあった本木雅也さんですが、2009年に埼玉県民栄誉賞を受賞した際には、地元への感謝を述べられています。
「若い頃は田舎育ちがコンプレックスだったけど、時を経て、故郷の温かさが分かるようになりました。自分という人間を育ててくれた桶川に感謝したいです」
地元を離れてみて、自分が持っていたものの大切さに気が付くことは誰にでもあることで、本木雅弘さんもその一人だったんですね。
本木雅弘さんは、幼少期は強く都会やヨーロッパへ、中学時代は不良や芸能界への憧れがあったようです。
ただし、その憧れもはっきりと強い気持ちではなく、淡い憧れのようなので、そこを踏まえると本木雅弘さんは「未知への憧れ」が強い方と言えるのではないでしょうか?
結婚に関しても「不自由さの中にある本当の自由さを求めていたのかもしれないですね」
「ある意味、恐怖もあるような未知の世界のほうが、飛び込みがいがあるでしょ(笑)」と話されたこともあります。
本木雅弘の学歴まとめ
- 高校:浦和学院高校→明治大学付属中野高校(中退)
- 中学校:桶川市立桶川東中学校
- 小学校:桶川町立加納小学校
本木雅弘さんの最終学歴は桶川市立桶川東中学校。
地元埼玉県の浦和学院高校へ進学するが、芸能活動が忙しくなったため、上京し東京都の明治大学付属中野高校(定時制)へ編入。
しかし、明治大学付属中野高校に編入後、更に大人気となり芸能活動が忙しく学校へ通う時間がないことが理由で中退。
中学時代は、バスケットボール部のキャプテンをつとめていた。
「のんびりと平和」な中学生活を送っていた。
ジャニーズ事務所に所属したのは中学3年生から。
ジャニーズ事務所へ中学3年生の時に履歴書を送って採用。
3か月たたず即ドラマデビュー!した。
以上、本木雅弘さんの学歴と学生時代のエピソード紹介でした。
https://twitter.com/nhk_archives/status/1472929794337738752自分は、つねに、
自分のことを気に入ってないんです。でも、それを「百も承知」なんです。
自分の出演作を観て、もっと別のやり方をすれば良かったと悔いることが多いという本木雅弘さん。
これからも変化し続け、私たちを惹きつける物語を紡いでくれることでしょう。
ピストルさん、ツアー初日お疲れ様でした!年末までどうぞお気をつけて頑張ってください!ひさしぶりのツーショットをお届けしますね。客席の皆さんからの幸夫くん!陽一!コール、ありがとうございました!!#永い言い訳 #本木雅弘 #竹原ピストル pic.twitter.com/mCpyyoNICp
— 映画『永い言い訳』 (@nagai_iiwake) May 7, 2017
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