吉川晃司の学歴や通っていた大学や高校の情報やエピソード、偏差値に関する情報を調べてまとめました。
吉川晃司のプロフィール
- 身長:182cm
- 体重:70kg
- 出身:広島県安芸郡府中町
- 血液型:B型
- 最終学歴:修道高等学校中退
吉川晃司の学歴と偏差値まとめ
- 大学:進学しなかった
- 高校:修道高校(偏差値:70)
- 中学校:修道中学校(偏差値:63)
- 小学校:府中町立府中小学校
吉川晃司の代表作
- シングル「モニカ」
- シングル「せつなさを殺せない」
- シングル「撃たれて眠りたい」
- シングル「アクセル」
- ドラマ「下町ロケット」財前道生役
- 大河ドラマ「天地人」織田信長役
- 大河ドラマ「八重の桜」西郷隆盛役
吉川晃司は大学に進学しなかった!その理由は?
吉川晃司は、大学には進学しませんでした。
吉川さんは高校2年生で中退し、音楽の道に進むことを決意しています。
日本代表にまでなった水球の道を捨て、音楽一本を選んだことを両親だけでなく高校の教師を含めた周囲の人々から反対があったそうです。
高校中退後は上京してレッスンを重ね、18歳(1984年2月)にファーストシングル「モニカ」で歌手デビューを果たしました。
デビュー当時は所属事務所の渡辺プロダクションの社長自らが音頭を取って、「10年に1人の逸材」とデビューまでのプロジェクトチームを作るほどの力の入れようでした。
するとこの楽曲は大ヒットを記録し、一躍人気歌手の仲間入りをしました。
『モニカ』吉川晃司 #日曜のへそ pic.twitter.com/99TmxQeFq3
— 青馬ユミ (@Sayma76) June 25, 2023
1988年には布袋寅泰さんとユニット「COMPLEX」を結成し、こちらも人気を博しました。
吉川晃司の学歴は修道高校(広島県)偏差値70
吉川晃司が通っていた高校は、広島県にある修道高校です。
住所:〒730-0055 広島市中区南千田西町8番1号
偏差値は70で、超難関レベルです。
修道高校と同じ偏差値の学校
- 刈谷高等学校
- 時習館高等学校
- 八戸高等学校
修道高校は、私立の男子高校です。
江戸時代から藩校の流れをくむ名門校で、政財界に多くの人材を輩出していることで知られています。
吉川さんが在籍した当時からかなりの進学校です。
吉川晃司と同じ修道高校の卒業生
名前 | 職業 | 進学先 |
亀井静香 | 政治家 | 東京大学経済学部 |
福井健二 | アナウンサー | 慶應義塾大学商学部 |
吉川晃司の高校時代のエピソード
中学は併設の修道中学校に在籍しており、修道高校には内部進学しました。
高校時代も中学に続いて水球部に在籍し、エースとして部活動に打ち込んでいました。
夏場は1日14時間プールに入っていることもあったそう。
高校では才能が開花し、世界ジュニア水球選手権の日本代表に選ばれ、2年連続で全国日本高校最優秀選手に選ばれました。
最年少の日本代表として、イタリアやエジプト遠征にも参加。
しかし海外遠征で海外の100kg級の選手を目の当たりにした吉川さんは、世界との実力差に絶望して「五輪に出られるかも」という夢を捨て、水球の道を諦めました。
高校時代は水球に熱中していた影響もあり、学校の成績はあまり芳しくありませんでした。
また、同じ部活の酒井磨さんに誘われ、学生生活と並行してアマチュアバンド「はまちバンド」を結成してボーカルとして活動をしていました。
歌唱力の高さはもちろん、ルックスやパフォーマンスが好評で、当時広島市内では人気があったようです。
しかし、メンバー間の音楽性の違いによりすれ違い、徐々に人気は低迷。
吉川さんは高校2年のときに佐野元春さんのコンサートを観て衝撃を受け、音楽の道に進むことを志しています。
水球の腕を買われて義塾義塾大学の特待生になる話もありましたが、その話を蹴って高校2年生で中退。
その後、渡辺プロダクションに入所しました。
「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」という手紙を書いて自ら売り込んだそうです。
渡辺プロダクションを選んだ理由は、当時ブレイクしていたアン・ルイスさんの影響でした。
吉川晃司の学歴は修道中学校(広島県)
吉川晃司が通っていた中学校は、広島県にある修道中学校です。
住所:〒730-0055 広島市中区南千田西町8番1号
偏差値は63で、やや難関レベルです。
修道中学校は、私立の男子中学校です。
吉川さんの出身高校である修道高校に併設している系列校。
県下屈指の進学校として知られています。
吉川晃司と同じ修道中学の卒業生
名前 | 職業 | 進学先 |
加藤友三郎 | 第21代内閣総理大臣 | 海軍大学校 |
亀井静香 | 元運輸大臣、建設大臣、自民党政務調査会長、衆議院議員 | 修道高校2年中退 |
吉川晃司の中学時代のエピソード
吉川さんは中学受験を経て修道中学校に入学しており、高い学力を有していたことがわかります。
修道中学校を受験した理由は、「制服の袖の部分に1本の白線があり、それがカッコよかったから」と語っています。
受かったのはいいものの、レベルが高すぎて全然ついていけなかったそうです。
もともとサッカーをやっていましたが、暑い日に勝手にプールに入っていたら高校の水球部の主将に見つかって「今日から水球部!」と半ば強制的に入部が決まったというエピソードもあります。
吉川晃司の学歴は府中町立府中小学校(広島県)
吉川晃司が通っていた小学校は、広島県にある府中町立府中小学校です。
住所:〒735-0006 広島県安芸郡府中町本町二丁目15番2号
吉川さんの地元である府中町内の公立小学校です。
吉川晃司の小学校時代のエピソード
父親が板前で、子どもの頃から料理を教わったそうです。
父親からは「何でも一番を目指せ」と言われて育ち、ケンカで負けて帰ってくると家に上げてさせないということもあったそう。
また、子どもの頃に少林寺拳法を習っていました。
いじめられている女の子をいじめから守ってあげるような優しい一面も。
ボーイスカウトに所属していたとのことなので、割と優等生タイプの少年だったのかもしれませんね。
子どもの頃からカープファンで、カープの帽子を被って通学していた時期もありました。
吉川晃司の通っていた幼稚園は?
吉川晃司が通っていた幼稚園は、分かりませんでした。
吉川晃司の学歴まとめ
- 大学:進学しなかった
- 高校:修道高校(偏差値:70)
- 中学校:修道中学校(偏差値:63)
- 小学校:府中町立府中小学校
吉川さんは音楽活動だけでなく俳優としても活動しており、数々のテレビドラマや映画に出演されています。
また、連続ドラマ「トリリオンゲーム」の出演やライブ映像作品「KIKKAWA KOJI LIVE TOUR 2022-2023 “OVER THE 9”」のリリースが決まっています。
圧倒的な存在感で50歳を超えた現在も第一線で活躍されている吉川さんの今後の活躍に期待です。
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